人は何を欲しているのか
とある件で山間部の過疎が進む地区長と面談する用務があった。用務は至って簡単に終えたのだが、その後、雑談ともつかない話題から妙に深刻な話の展開になった。ちなみにこの地域の市域人口は76,000人で面積25キロ?である。どちらかと言えば丘陵地と異なり山間尾根が周縁を取り巻く地形をなしていて当地は急峻な山間地に住居が点在位置し、その中を狭小な生活道路がうねうねと屈曲した地形特性をもつ土地柄である。もちろん公共下水施設は未だ、未整備の状況にある。この先もその条件は変化する事は望めないであろう。つまり地区独特の地域性である。地区長の話の内容とは「地区過疎の進捗・地区活性化・住居地区の周辺環境整備(道路拡幅整備)・不法投棄拡大・自然環境破壊の拡充」など相反する事象で、どれかを優先順位として、選択肢しない限り相互に連帯し共有できるテーマは無く短所と長所とが常態的に同居している。どちらかというと開発行為による便益よりむしろ、結果的には環境悪化に系列するリスクを付属化させる方が往々にして多くむしろ難点として考えられるべきかも知れない。人は豊かで静寂な暮らしと自然環境を求める一方で、便利さと快適性をこよなく追求し、ふと我に返るとき、既に、周辺環境を煩雑化させ、威圧圧迫と窒息化された建築空間を構築化させてきた。加えて活発な経済活動の弊害の結果として地球的規模で大いなる環境まで明らかに悪化させ著しく変化させてきたのである。近世には、あたかも、このような一極集中化の上に立った都市整備の形態が、良し悪しきに付け、成果が其の形となって顕在化している。古代から人類の生活は自然に全てを委ね支配され、人は自然に対し恐れと畏敬の念をもって暮らしてきた。今日、人は自然に支配されない住居環境を取得したが、果して、人間にとって快適と言えるのであろうか。個々に於いてはその存在の有益性には個人差があり、一概に肯定も否定も出来ないであろうが、現状の様相を留める限り、其の中に存在する人は常なる緊張と緊縛感から脱離できず討ち捨てられ、中に、抑うつ症状から脱落に陥る者も時に出てくる。建築空間も又、このような社会環境で進化がすすみ、高度規制のない高容積率の著しい建築物が乱立し、本来、万人が主張できる、其処にあるべき留めるべき日照権や自然環境は遺失され、今では、人がそこに立ち入った時、水平目線で展望視できる視野が既に喪失され高層建築景観のみが展開されてきた。
近年、京都などの古都保存地区では、市条例で建築物の高度制限や雑種化した広告看板は序序に其の存在を軽蔑視され、水平視野が眺望できる景観を重んじる風潮が出てくるようになってきた。ちなみに景観法は2004年6月に法律が制定されてきた。この景観法の他、それに連帯して「都市緑地保全法」・「都市公園法」・「屋外広告物法」等、法律の一部改正が議決され、総称する景観緑三法が整備されてきた。今日、自国に於いては既に五百近い自治体が自主的に景観条例を制定して、地域を美しく整えようと取組がなされている。このような今日の背景の中にも、私の近傍では、市街化区域に隣接した市街化調整区域に産業廃棄物保管施設やトラックターミナル・リサイクル中間処理の基地が増殖してきて、騒音・振動・粉塵・悪臭など、全ての公害に起因する素材を持った施設が散見されてきた。住居空間に近傍する、このような景観は、天空から眺望視すると、あたかも害虫に食い荒らされていく果実のごとく悪臭を放ち増殖していく様が眺望視できるであろう。以前のそこの早朝には、南面の窓から平穏な農耕田と連山からなる山並みが眺望でき、静寂な時間と、視野を妨げない程度の景観が望め、薄暗い幻覚の中に癒しの空間があったように記憶している。今は、早朝5時の厳冬に生コン車と大型トレーラのアイドリング定常音と嫌悪する排気ガスとが滞留した空間に漂い、起き抜けの身体に、そして精神をも著しい倦怠感と疲労感とを誘発させている。今日の日本には環境条件を変化させる操作要件は至る所に点在化し快適性と不適正とが同居させていて市街化調整区域と市街化付近に特にこの現象が顕著である。このような風景の根底には多少、地域の自然や文化を犠牲にしても経済的に豊かであればそれで良しとする考えに走りすぎた結果、今私たちは、どの土地を訪ねても芝居の大道具や背景でそこに風景や建物など舞台背景をえがいた書割(かきわり)のようなショウケースに似た区画にその地域の特性を多少垣間見ることが出来ても、日本の殆どが変わらぬ景観・風景に出会うばかりである。20世紀の私たちは、ひたすらに戦後の復興を目指しあらゆるものを犠牲にしてもそれに気づかず、経済発展を希求して努力してきたが、その状況は「国敗れて山河あり」ではなく「国栄えて山河なし」といった状況を招いてきた。近年、ここに来てようやく幸福とは財貨の有り様で決まるものではなく自分らしく生きる条件、とりわけ其のために割ける自分自身の自由時間と心地よい「場」があって欲しいと願うようになってきた。ようやく私たちは激化する競争社会の中で、自らがアイデンティティーを日本人・日本そして自らが居住し骨を埋め子や孫を育てる環境を問い直す機会を得てきた。そこでつながり、つまり近隣や環境と、そして地域の風土・風景・景観の文脈の繋がりに興味と関心を持つに至り、安全で安心であることは言うまでも無く、より快適で美的である調和を尊ぶ地域の復権を願うような風潮が訪れようとしてきた。