悉皆屋「しっかいや」という言葉が江戸時代にあったらしい。
この業は大阪で衣服・布綿の染色・染返しなどを請け負い、これを京都に送って調整させることを業としたもの。転じて染物や洗張りをする店をゆうらしい。江戸時代にはごみや不用品は循環型社会形成基本法の最たる3R、つまりリデユース・リユース・リサイクルといった循環システムの中で再利用されてきました。
例えば1枚の着物は「悉皆屋」と称される「染物」を主にしたよろず屋に任され、古着として売られ、やがて着物として着る事が出来なくなると、その生地をばらばらにして縫い合わせ、着物に加工したり布団カバーに再加工したりします。さらに使われなくなると、其れをほぐして編みこみ背負子の紐に加工するなど徹底した再利用がされたらしい。
江戸時代の糞尿もまた循環しました。農地にそれが持ち込まれ腐熟されたのちに肥料となった。長屋の大家が店子の家賃の不払いがあっても追い出さないのは、家賃もさることながら、店子の糞尿を売ったほうが儲けが大きかったからだとする逸話さえある。糞尿の売買は別として、私の知るかぎりでは、昭和30年代には各家庭の糞尿は多かれ少なかれ薩摩芋などの下肥に使用されていたように記憶している。
またこれに付帯する肥溜めが漫然と農地の一角を占拠していて、これに拘わっての嘲笑逸話も多い。一見、時代錯誤も甚だしいが、事の本質はこの江戸時代の遺伝子を現代に継承したものが循環型社会形成思考ではないのかと・・・。ところで、このような物質循環システムは衛生面でも都市環境の安定に寄与しました。いわゆる伝染病で日本の都市が壊滅したという史実ははありません。
西洋諸都市のように伝染病により住民の相当部分が罹病し都市が壊滅に近い状態にまで追い込まれるようなことは起きませんでした。伝染病から都市を守るための下水道が普及するまでの間、同時期の欧州諸都市の市街地では、街路にゴミや糞尿がそのまま捨てられていて当たり前という極めて不衛生な様相を呈していたといわれています。女性のハイヒールの原型は、通路にたまる塵埃から足元を守るため靴の高さを上げたスタイルの名残りととする説があったようです。
「景観から見た日本の心」から