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自然治癒力と自然浄化能力

とある医師のESSAYから・・・。「私達は風邪をひいても、傷を負っても自然に治ってしまう。この原理原則は多くの他の病気でもそのことが言える。無精して中々治りにくい病気にかかることもあるが普通は治る病気のほうが圧倒的に多い。


だから安心して暮らせる。このように自己の身体自らが持つ病気を治す力を「自然治癒力」と呼ぶらしい・・。つまり「自然治癒力」とは代謝機能を高め、からだの防御力をあげ壊れた組織を修復する力を呼び起こす事であり代謝を高めるための決定打は発熱することにあるらしい。つまり治ることは熱を出すことである。


治ることと熱の関係はやけどしたら赤く発疹し熱をだす。日光にあたり過ぎて日焼けしたときの火照りがでる。霜焼け・凍傷のときにも発熱する。このような状態は怪我でも風邪でも同様の様を呈し、すべてが細胞組織の修復反応として出てくるらしい。以上の事から治る力とは発熱であり腫れであり痛みであるとの事である。


現代医学ではこのような自然治癒力の本質を見抜けず対症療法で止めにかかる流れになっていて、医師の中には「患者から苦痛をとってやる事が医療の最大の目的である。」とする人もいる。


しかしながら苦痛をとる事は自然治癒力を奪う事でもある。」がしかし、全ての傷病に対して過度に治療を施すことは、先天的に、人が固有する良性の免疫抗体をいたずらに削ぐのでは。つまり傷病に対し弱体化することえの弊害として発現するのではと恐れを感じざるを得ない。かくゆう小生は服用依存型思考症候群の持ち主でもある。


視点を変えて、ここでは異なる要素を持ったものから共通化する問題の原点を整理してみる。この世に人間社会が存在するかぎり生活圏では廃棄物とは絶対的な不可分の関係にある。例示すると自然界にも、この自然治癒力に相当する「自然浄化能力」が存在している。


自然浄化能力とは、環境悪化が進む存在下でも「人為的関与なくして一定の環境が保全される自然治癒能力」をゆう。自然界に於いては直接的には生態系循環能力の容量を超える廃棄物が排出されない限り、本来、自然生態系がもつ浄化能力の支えによって公衆衛生や環境保全が堅持されるものである。


しかしながら一度、生態系循環能力つまり自然治癒力を超過する廃棄物が排出されると、超過量に相応し、加速的に自然破壊が顕在化してくる。このことに関し、自然はその事実を明示的に訴える手段がなく、しかもその破壊に伴う金銭的補償をうけるすべもなく、そのため生産者・流通業者及び消費者は廃棄物問題に伴う自然破壊の深刻さを認知しないまま、使い捨て型の生活様式を変えようとしないのである。


人は廃棄物に対し、其の取扱についてはぞんざいにしすぎる嫌いがあって廃棄物が爆発的潜在破壊力を秘めている事実を十二分に周知していないのかもしれない・・・。今もそれが際限なく続いているのでは・・・・。

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エジソン博士

エジソン博士の紹介

ごみと環境(かんきょう)について研究している博士です。
もとにカエル、よみガエル、いきカエル、もちカエル、かんガエル、つカエル…。
そんな意味(いみ)から地球を守るという使命感(しめいかん)をせおって、この研究をはじめました。

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